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寄稿一覧 Karen Huang ( ゲスト寄稿者 )

神は信頼できるお方

我が家の猫のミッキーが目の病気になり、毎日、目薬をさしました。浴室の台に乗せると座っておびえた目で私を見つめ、ブシュッと飛び込む液体に身を堅くします。私は「いい子ね」とささやきます。病気や薬などということは理解できませんが、ミッキーは、飛び降りたり、威嚇したり、引っかいたりしません。むしろ、この試練を与えている私に寄りかかってくるのです。私を信頼できると知っているからです。

希望の錨

段ボールを掛けて道で寝ている人たちの写真を見せて、教会学校の生徒に尋ねました。「この人たちに必要なものは何?」食べ物、お金、安全な場所、という答えの後で、「希望」と大きな声で言った子がいました。そして、希望とは良いことが起こると期待することだと説明してくれました。

手放す

本屋の店員のキースは、店主が2日間、休みを取って不安でした。店は順調でしたが、キースは、きちんと留守番ができるか心配でした。それで、あれもこれもと、全ての業務を神経質に細かく確認しました。ついに店主は「やめなさい」とビデオ通話で言いました。「君がやるべきことは、毎日のメールの指示に従うことだけだ。心配するな、キース。店の責任は私にある。君にではない」

疲れているとき

定時が過ぎた静かな社内でパソコンの前に座っていました。仕事が終わって気分爽快のはずが、ぐったり疲れていました。仕事の問題や人間関係のことで身体が硬くなり、肩も凝っています。その晩は気分転換にテレビでも見ようと思いました。

生きる目的

妻を亡くし、隠居の身。子どもたちは巣立ち、家庭を持って忙しくしている。静かにぼんやりと日々をやり過ごしている。「もう十分に生きた。これといった目的もない。いつ天に召されてもいい」。ハロルドは娘にそう話していました。

孤独な時

夕方7時、ホイリャンは台所で残り物を食べていました。すると、一家だんらんの笑い声が静寂を破りました。アパートの隣の部屋に住むチュア一家の夕食が始まったようです。ホイリャンは、妻が亡くなってから一人暮らし。今や孤独を道連れに生きることを学び、当初の刺すような痛みは、鈍い慢性痛になりました。しかし、なぜか今夜は、一つの茶わんと一膳の箸しかない食卓の光景に心をかき乱されたのです。

聞かれている

チャールズ・リボルグ・マンとジョージ・ランサム・ツイスは、1905年の著書『物理』で、「人里離れた動物もいない森で木が倒れた時に、音はするか」と問いました。それを発端に、音、認知、存在に関する議論が、哲学と科学の両分野で始まりましたが、今も結論は出ていません。

信頼し続ける

早朝独りのとき、心配性の性格が悪さをします。それで洗面所の鏡にハドソン・テイラーの言葉を貼りました。「神は生きておられる。聖書の中で話をされている。神は真実を語り、約束を必ず守られる」

この愛は本物

足元をすくわれるとはこのことです。婚約者の裏切りが分かったのです。その前の恋人も不実でした。ですから、初めてのバイブルスタディーで、神は愛だと聞くと、ジョジーは「これも詐欺かしら」と思いました。信じたら、また傷つくのではないかしらと。